思い起こせば、2006年にCatarina クロッシングにわけも分からず、出場。
2007年は大島3回目を男女ミックスで完漕。
2008年は女子だけで大島まで漕ぐ!と目標を決めて練習するも、当日そして予備日までもが天候不良の為、中止を余儀なくされた。自然の神様に見放されたのか・・・?

2009年の目標は・・・と考えていた4月ごろ、『モロカイクロッシングに日本人でたら初参加なんだけど行く?』と地下の女子部屋(通称)で話してから、10人参加者のめどがつくまでは早かったと思う。

この年、もえさんは2回目のモロカイOC1レースを経験していたこともあって話は
とんとん拍子に運んでいった。

COCCに女子がチームとして成り立ってから、わずか4年。最初の頃の私達は、強そうなユニフォームを身にまとい、レースに参加するが、負けてばかりいた。
メンバーの多くは、水泳などを極めた元選手。水に対しても慣れているのに、勝てない。漕ぎ方以前に、練習量も相当少なかった。

あるスプリントレースでは、レースなのに、スタートして目標のブイにまっすぐ進めない。折り返しのブイは2回以上まわる。思うようにカヌーが進まない。笑い泣きで漕いだ。
わがチームは沈していないのに、カヌーがひっくり返って立て直しているチームより、遥かに遅いタイムでゴールする。そんな弱小チームだった。

それが、世界中のパドラーが憧れる世界最高峰の大会に参加するなんて夢のようである。
しかし、なんとそんな弱小チームは、2009年に無事、完漕を果たしてしまったのである。以下、その珍道中の詳細を記していきたいと思う。

9月21日 
第1陣(もえ隊長含む10名)ハワイに向けて、日本を出発。
18:30に成田に集合、のはずが集まってない。まあいつものことかと思いながらも・・・
レア練で苦楽を共にした美樹がお見送りに来てくれていた。美樹とはここで、熱いをハグを交わし、検討を誓うクルーとコーチ。
それぞれの大荷物に夢と希望と応援してくれているみんなの気持ちも乗せて20:55発のNH1052便 ホノルルへ向け出国。
日付変更線を通過し、現地9月21日AM9:30ハワイオアフ島に到着。
荷物をピックアップ後、もえ、やく、ともはレンタカーを借りにバジェットへ。
ここで珍道中の珍が起こる。

 

ハワイ初日
レンタカーを2台手配し、1台は準備完了。やく君を残し、もえさんと私が最初の1台に乗り込んだ。すぐに手続きした場所に戻ると・・・やく君がいない・・・・(^_^;)
ん???一体どこへ?
スタッフに、『ここにいた日本人は?』と、もえさんが聞くと『さっきそこにあった車に乗って行ったよ~』と・・・。
え゛~~~っ。
レンタカー駐車場内での日本人客2台による、追いかけっこが始まる。1周目・・・2周目・・・3周目にようやく発見!
その後、他のメンバーの待つ到着ゲートへ向かうことができた。みんなを乗せ、Ilikai コンドミニアムへ。
到着後、部屋を管理しているスタッフが来て、すぐに部屋を視察。部屋割に従って各自は部屋に入る。その後簡単な1日の流れをミーティング。1度解散(自由行動)となる。その後、1台は数名を乗せ、昼食へ向かう。

昼食をどこで食べたらいいかわからないチームは、まずはもえさん引率のもとお勧めのドーナツ屋レインボードライブへ。みんな巨大なドーナツに面食らっていました。
昼食後さらに、食べっぷりいいのあやか。その後、この食べっぷりに益々磨きがかかることになる・・・。

 

その後、みんなでアウトリガーカヌークラブへ行きレジストレーション、大会グッズの購入(お土産の購入)に勤しむ。

 

大会グッズの販売は順番に会場に入り、コノ字型になって並んでいるグッズに対して、左方向に進んでいく。前の人との間隔が空いたら、次のグループがグッズの会場に入れる。
会場でロカイのレースディレクターに『MOE~』と声をかけられ、ツーショット!
もえさんの名はここでも有名でしたね。

グッズ販売の方はと言えば、みんな相当早く来て、気合入れて並んでいた。サイズはやはりハワイ級。女子の大会なのに、なぜか男子用のロングTやタンクも売っていた。サイズはXXX3とかあり、でかい!やはり当たり前だが、小さいサイズは少なかった。
グッズ購入が終わると、日も暮れ、お腹もすいてきたので、夕食へむかう。
アジアンフードでお腹が満たされ、コンドミニアムへ。
各部屋ごとに次の日の準備をして消灯。
あっという間にハワイ滞在初日を終えたのだった。

9月22日(日本9月23日)ハワイ2日目

7:00 集合してお散歩&体操の時間。朝から強い日差しを感じる。もちろん、協賛いただいたNOEVIRさんの日焼け止めやリップクリームは欠かせない。ハワイの強い日差しや海からの照り返しから、私たちのお肌を守ってくれた。感謝です!

 

朝の体操のお姉さんはあゆゆ先生。ボンジュールマダム体操♪なるものをみんなでTRY.。
1番楽しそうだったのは、やくお兄さん?
この後、やく君とあゆゆは、第2陣をお迎えに空港へ向かい、その他のメンバーは、お昼の集合まで、自由な時間を過ごすことになった。
第2陣の4名(おかちん・でかやす・まい・みんみん)は、空港出口から合格文字の書かれたはちまきや、日本はちまき巻いて登場するも、何のリアクションも無いやく君とあゆゆに、おかちん撃沈。(笑)

さあ、ようやく全員集合!
午後からはココクレーターへトレッキングへ向かった。
ココクレーターという丘の頂上からモロカイ島が一望できる。ここで、レースのイメージを膨らませてもらいたいと、やく君が熱望した場所。
しかし、次の練習時間までの時間が1時間と限られており、登る人登らない人、途中で引き返す人、様々だった。
この日はすこぶる暑く、水分をどんどん奪われる。このクレーターはかなり急な斜面で、途中、格子状になっている木製の橋がある。この橋の下には危険回避の網など、何もないので落ちたら一巻の終わり。そこは這いつくばって移動。ある意味、過酷なクレーターであった。登った人たちは、きつかったけど景色は良かったと絶賛。
しかし、次の日から筋肉痛が登ったクルーを襲うことになった。レース後だったら、良かったのに~と思った人は少なくなかった。

約束の時間ぎりぎりに、NEW HOPEカヌークラブの練習場へ到着。カヌーに乗艇しての練習。ハワイの海にそれぞれ、身体を慣らしていく。
ここで、カラマさん(NEW HOPEコーチ)を紹介される。縦にも横にも、身体の大きな愛嬌満点のおじさんであった。1時間ほどカヌーで練習をし、カラマさんが用意していてくれた冷たいミネラル水をもらって各自、着替えて車に乗り込み部屋に帰る。
帰ると、部屋のベランダにテントを張っている人が!デカヤス君は気を使って、テントを日本から持参した。
さて、消灯とデカヤス君が自分の寝床に戻ると・・・人が寝ている???まいさんが爆睡。
(この時はわからなかったが、結論的にいえば、将来の伴侶(まい)が寝床を既に奪っていた。この日はまいさんにテントを奪われたので、テントには入れなかった。ついでに、この時、彼のハートも奪われていたのかは定かでない。)
デカヤス君は結局、部屋の片隅の床で寝ることとなる。ハワイ2日目もほぼ終了。

9月23日(日本9月24日)ハワイ3日目
7:00に集合しNEW HOPEへ向かう。
8:00からカヌーに乗り込み練習。チェンジの練習も含め1時間程度で終了。
もえさんの友人のクリスも仕事の合間をぬって我々の練習を見てくれた。
彼はモロカイのレースの達人である。OC6のレース、OC1のレースに数多く参加。
今回は女子のレースのオフィシャルで参加。

 

練習後は、コンドミニアムに戻って、Freeタイム 。コストコへ行ったり、ドンキホーテ(24時間営業)で買い出しをした。この時、サプライズな計画もあり、ケーキを購入。
あとは部屋に戻ってモロカイ島にいく準備。必要のない荷物を分別。コンドミニアムはKEEPし、レースで使わない荷物はここに置いていく。
モロカイへは必要最低限の荷物で乗り込むことになる。
何故ならば、レース用カヌーとエスコートボートだけで帰ってくるからだ。エスコートには、待機クルーに当日の飲食料を積む為、大荷物は持ち込めない。
思い返せば、レース終了後は、待機していたクルー4人とコーチ2人とあゆゆの7人が、2台のエスコートボートにある荷物をすべて、ピックアップして降ろしてくれた。各自の荷物は少なくした筈だが、モロカイで積んだ飲食料があり、それでもかなり多かったと記憶している。
夜のミィーティング後、サプライズで今回最年少のさゆりん20歳のバースデーパーティーを行った。

巨大なコストコ製ケーキとささやかなプレゼントを贈ると、感激したさゆりんはうれし泣き。それを見ていたみんなももらい泣き。もらい泣きパート1。

  

COCC Le'a-sayu COCC Le'a-sayu2  

パーティ後、それぞれの部屋に戻り、モロカイ島へ行く荷物を仕分けしながら、とも部屋ではあゆゆ先生による、パンツマッサージが始まった。
パンツマッサージとはマッサージする人もされる人もパンツ姿になるというマッサージ。
マッサージ最中は部屋中で笑いが絶えない。さすがムードメーカー、お笑いの師匠、あゆゆマジック?が夜遅くまでかかっていた?私もなぜか、パンツで337拍子。

9月24日(日本9月25日)
いざ、モロカイ島へ!!!
8:55発のIsland Air に乗るため、7:45にコンドミニアムを出発したかったのだが、とも部屋の3枚あったカードKEYが1枚しかなく、その手続きも時間がかかりすぎて途中で断念。レンタカー返却などしている間に、刻一刻と時間が過ぎ、結局空港でも、荷物をさらに空港の指示通り、パッキングしなおして、飛行機を待たせた。乗客の皆様、すいませんでしたm(__)m

 

9:25 無事にモロカイ島へ到着!30分のあっという間の飛行。到着すると、COCCメンバーのあやさんが出迎えてくれた。いよいよ来てしまった!

 

$COCC Le'a-molokaichaku  

あやさんの友人のジョージも我々の大荷物を運んでくれた。
レンタカーを借り、チェックイン前にモロカイ島NO1レストランでランチタイム!

$COCC Le'a-molokaimeshi  

たらふく、ランチを頂きモロカイショアーズにチェックインにむかう。帰りに買い出しもして、無事にチェックインも出来、今度は3部屋に分かれた。
突撃洗濯ちびっこ部隊も自然に結成され、各部屋を回って洗濯開始。
このころまでには、各自が決められなくても、できる仕事を進んでやっていたように思う。
(素晴らしい!!!)
ここで、若干の休憩をし、夕飯はとものB班が中心で初日、カレーを作る。
とはいえ、結局、みんないろいろ手伝う。

         

   

カレーを作っている間に、やくコーチつかの間のブレイクタイムだったが、隙を見せてはいけなかったのである。なんと、やくコーチはみるみるうちに変身? なにやら怒っているの?相当、うっぷんが溜まってたの?次に耳からバナナが生えてきた。そうこうしている?間に、頭からパイナップル、下半身には立派なもの?がお目見え・・・。
何が起こっても起きない。疲れていたに違いないと実感した。コーチ、ホントにいつもありがと~~~!ここで『もっと大きいのにしてあげなよ~』ともえさん。みんな大笑い。

 

 

食事ができるまで、このまま爆睡していた。
夕食ができ、アウトドアディナー。

 

この日は、天気も良く日が暮れるのが遅く、外の芝生でジャケット撮影?お見合い写真?
夕飯をすませた後、噂のパン屋に向かうことになる。
すっかり、あたりが暗くなったころ、知る人ぞ知る、噂のモロカイブレッド。この時期だけ、お目にかかれる代物。モロカイ島に何度も観光で来ているあやさん(COCC)でさえも行ったことが無かったそうだ。(Moe‘Special Tour ならでは、でした。)
私も、相当疲れが溜まってダウン寸前だったが、ミーティング後、モロカイブレッドのお店へ。それはパン屋の裏口にあった。あたりには誰もいない。通常は行列になるくらいだそうだ。OPENとなっていれば、赤い扉を叩くと奥から人が出てくる。メニューに書かれた物をオーダーして、待つこと数分。しばらくするとパンの袋を持ったお姉さんが出てくるので、お金を支払う。この日は、私たちの後から人が集まってきた。

 

この日、できたてのワークス(全部盛)を、夕飯を食べたのにもかかわらず、あやかはこの場で完食?残ったのはワークスに入っていたペーストのみ。それだけ見ると、○んこ色していて、食べたいとは思わなかったと語るおかちん。

   

次の日の朝ごはんとして持ち帰る者、食べる分と持ち帰る分を買う者と様々。モロカイブレットの興奮も醒めないまま、部屋に戻って就寝。

9月25日(日本9月26日)
朝の6:00の集合までに朝ごはんを済ませて集合。体操、散歩。
この日は、Hale O Lono(レース出発地点)へ向かう。移動時間は約1時間くらい。その前に、大会本部に向かう。残りのレジストレーションと、大会グッズの購入ができた。
ここでは、各自の年齢が20歳以上かどうかが重要であり、パスポートか日本の免許証の提示が必要となった。持参しなかった数人はホテルに戻り持参した。

年齢の確認ができて、申込金を支払って受付完了! 
 

スタート地点までは相当な山道で、道も舗装などされておらず、サファリパーク気分で、対向車もすれ違うのが大変なくらい。スピードは出せず、運転も乗り慣れていないと大変である。

 

前日に作ったおにぎり(昼食用)も積み込み、借りるカヌーをリギングしに向かう。
着いてから、NEW HOPEのメンバーを探す。
まだ、この日はそれほど混雑はなかったが、日中は炎天下で焦げるくらいの日差し。体格のよい女子が我々のカヌーも一緒にリグをしてくれた。リギング用のロープをおしりの下にフィットさせて2人で『1・2・1・2』と腰を振り、リズムよく紐をしごく。

 

長袖、帽子、日焼け止めはもとより、NEW HOPEのチームは車に冷水のタンクが
積んであったぐらい、水分は必需品。私たちのカヌーから最初にリグをしてくれた。日本の男子より腕のがっちりした女子がぐいぐいリグをして1台完成。
腕力には自信のあったレアメンバーもタジタジ・・・。ここでは、なんだか皆が、
かわいらしく見えたのだった。

 

何回かリグの紐が切れては、やり直したりして、時間がかかっていたのに、ほんとにありがたかった。この日は、もえさんはFM横浜の生中継もあり、電波の届く場所に向かった。

New Hopeの方たちに感謝の気持ちと、お礼をして退散。
部屋に戻ると、自炊準備と洗濯が待っていた。
2日目はあやかのA班が夕食のパスタを担当。
美味しい食事が出来、夕食が始まった。思いのほか、食事の量も多く、みんな大満足。
わがチームの秘密兵器、たまちゃんの胃袋も満足させるほど大量にあった。
あやかは、パスタをおかずにライスもおにぎりもほおばり、完食。コノ食べっぷりを見て『おにぎり』というニックネームがついた?つけられたのだった。
この後、ミーティングをしてそれぞれ就寝。

9月26日(日本9月27日)レース前日
この日は朝から、スタート場所であるHale O Lonoへ向かった。

着いてから、体操、ストレッチ、などをしてレースで使用するカヌーへ乗艇した練習を行う。ここへきてようやくカヌーの進みや感覚が良くなってきた。そして練習後、もえさんのガイドで、きれいな貝殻のあるホワイトサンドのビーチへ向かった。

 

   

 

貝を拾ったり、ゆうに頭を越える波の押し寄せる海に入ったり、レース前に楽しく有意義な時間を過ごせ、リラックス出来た。
その後、町に繰り出し、買い出し。
その日は、モロカイ島のお祭りが開催されており、教会の前は、NZのハカと、歌のコーラスがやっていたり、出店が出たりしていて、軽くショッピングなどもできた。
ホテルに戻って、夕飯準備。

この日は、もえさんの友人でもあり大会のオフィシャルでもある友人たちが、バーベキューでもてなしてくれた。めずらしく、新鮮な物ばかりで、とても美味しかった。

   

 

こちらは、もえさんが持ってきたタコ焼き機でタコ焼きを披露する。
この日は、レースに出る他の国のメンバーも大勢、宿泊しており残った食材を交換したりした。
食事中も大会の情報を聞いたりしてカヌー談義をする者、食べまくる者、まったりした時間を過ごす者、様々な時間を過ごした後、レース前の最後のミーティングが始まった。

     

 
日本の旗にみんなからコメントを頂いた国旗を前に、一人ひとりレースの抱負や意気込みを語っていく。みんな、自分の言葉で話していき、おかちんの番になった。
『こんなに楽しくカヌーを練習し、漕いだのは初めて・・・』とおかちんが、泣きながら
スピーチを始めた。すると、みんなももちろん、もらい泣き。もらいなきパート2。
ここまで来るのに、仕事との調整もあり、満足な練習も出来ない代わりに、1回1回の練習はきつく、楽しい?なんて思ってる暇はなかった。それでも、その話がでて、楽しかったと言って貰えて、私は嬉しかった。今回は特に、初めてのことだらけでみんなには、
かなり厳しい要求や制限もあったと思う。みんながそれを含めて共有できて、そして10人が揃って、レース前日を迎えられた事が、各自のスピーチでさらに実感できた。
このミーティングで、それぞれの思いを確認でき、明日に向けての心構えも出来た。
あとは、みんなを信じて漕ぐことしか頭になかった。

9月27日(日本9月28日)レース当日
朝は3:00に起きて、準備し4:30に集合しホテルを出発。
いよいよ、本番当日だ。天候は前日より風も波も若干、収まっていた。
まだ、あたりは星が輝き暗い。出発地点にはすでに受付のスタッフが懐中電灯を照らして、
車の誘導をしてくれる。このスタッフたちは前日からテントを張って、泊っていたようだ。

 

暗くて、準備する時も、簡易トイレに行くときも手探り状態で、歩いた。
簡易トイレは数多く快適であった。
5時30分過ぎると、あたりがようやく明るくなって、人の顔が確認できるようになった。
女だらけ!こんなにいっぱいいたのか?と思うくらいの人が集まっていたのだった。

エスコートボートに乗せる荷物を積み込む。コーチ陣やスーパーサブのあゆゆのお陰もあって、スムーズに積み込み完了。
そしていよいよ、セレモニーが始まる。ブレッシングを行い、みんなで、健闘をたたえあう。

 

 

私たちは神聖なリーフをジョージ(COCCあやさんの友人)に頂き、のカヌーの最後尾につける。もちろん、日本の国旗や神様の御札とクラブのみんなの思いも乗せた。
みんなで円陣を組み、おかちん作のCOCCエールを行い、エスコート組み、ファーストクルーと分かれる。他のチームもこぞって、スタート地点に向かって、一斉に漕ぎだす。

 

 

アップも兼ねてスタートラインに向かう。エスコート組は最初は、スタート地点へは近づけない。船酔いの薬を飲むも、効かなかったらしい。そのくらい、波があってエスコートボートは揺れが大きかったようだ。
スタート地点まであとわずか、という所で他のチームが一斉にガン漕ぎし始めた。
我々のカヌーはどんどん離されて行く様をみて・・・おかちんが、『スタートしたみたいです!』と聞こえてきた。『なに?』スタート時間の7時30分にはまだなっていないのにスタートしたようだ。やはり、ハワイルールか。予定時刻の約7分前にSTART。
結果、私たちは出遅れたわけである。しかし、ものは考えようである。
ほとんど緊張もせず、自分たちのペースでスタートが切れた。
ここからCOCCレアの猛追撃が始まったのだった。
雲もほとんどない快晴の青空、海は一段と青く透きとおっていた。
ダウンウィンドやオーバーヘッドの大きなうねりも手伝いカヌーはぐんぐん進んでいく。

 

こんなに波の高かった海で漕ぐのも初めてだったが、クルーはみんな水泳が得意だったので、この高波を楽しんでいた。スプラッシュガードをしていても、海水は入り込む。
すかさず、ベールし、また漕ぐを繰り返す。

 

前方にターゲットを発見。追いつき、追い越すと、エスコートボートからの応援が一段と大きく、盛り上がった。
今どのくらい漕いで来たのか?どのくらいの時間がたったか?などという事は、あまり
意識しなかった。漕いで、降りて、応援して、また乗って・・・。何回繰り返しただろう。
ダイヤモンドヘッドが見えてから、より一層元気がみなぎる。帰ってきた~、という嬉しい感情が、疲れを一蹴。気がつくと、漕ぎ始めてから5時間を超えていた。目標の7時間切りまで、あと2時間をきった。距離にしておよそ45kmくらいだった。
いいペースで進んでいる。誰一人、疲れてリタイヤする者などいない。

 

また、別のチームと遭遇。競ったら負けない自信があった。あっという間に抜き去った。
出遅れたのは残念だったが、返って抜く方がモチベーションもあがって楽しかった。

私が辛くなったら、みんなも辛い。辛さを笑って撥ね退けたい。そんな気持ちもあって、
日本から仕込んできた仕込みをお披露目する機会がやってきた。ステアのもえさんからOKの合図をもらって、エスコートボートで、いざ仕込み。
笑ってちびりそうになるクルーを横目に、アヒルやうさぎのかぶり物をして乗り込む。もちろん、漕ぐ勢いは変わらない。変わったのは、クルーに笑顔が満ち溢れたこと。

 

ゴール付近はOC6のクルーしか入れないため、エスコートのクルーとしばしお別れ。
ゴール手前でかぶり物はすべて取り去った。いよいよ待っていたゴールが見えた。
ゴールの瞬間は言葉にならないほど、感動的だった。フィニッシュする前から、メンバー10人の名前をひとりづつ呼びあげてくれる。(J-WAVEで放送されたもの)日本人クルーの参加が初めてで、なおかつ完漕を果たしたので、アナウンスの声が一段と大きく聞こえてきた。ゴールする瞬間を練習中から夢見てきた。この時、それが現実となったのだ。
ゴールの時、海の中で応援してくれていた、ちひろ先輩。日本からわざわざ、応援に
来てくれたのだ。ゴールして、ビーチではクリスの奥さまとお子様たちが待っていてくれて、ひとり、ひとりにレイをプレゼントしてくれた。
その後、NOEVIRのハワイ駐在のスタッフの方たちが、カラフルな応援のパネルを持って待ちかまえてくれた。

 

ゴールしたら得るもの、はそれそれだったと思うが、私にとっては『絆』だった。
こんなに、楽しくOC6を漕げたのは生まれて初めてといっても過言ではない。

みんな、住んでいる場所も、育ってきた環境も、仕事もカヌーを漕いできたキャリアも全て違う。そんな10人と、スタッフとして毎日、私たちのために尽くしてくれたコーチのやく君とデカヤス君と、女子ならではの気配りと、クルーの体調管理に余念のなかったあゆゆ。ほんとうに感謝である。

結果は、84チーム中65位。時間は6時間56分29秒。
ちなみに優勝チームはTeam Bradleyで、時間は5時間25分16秒。ほんとに速い!
いつおいつけるだろうか?(苦笑)

65kmの海峡完漕と7時間を切りたいという、私たちの目標は達成できた。しかし、ちゃんとスタートできていたら、もっといいタイムが出せたのに・・・と若干悔しさも残ったことは否めない。これは、次回の課題となるであろう。

そして最後に、クラブの代表としてあらゆる面ですべてのサポートをしてくれたまささん。スポンサーであるNOEVIR関係でお世話になったえっちゃん、湘南のエリア長様。
練習中から付き合ってくれた、峰みねや中ヤス。合宿所のように快く、大勢が寝泊まりさせて頂いた、日高会長&奥さま。シャワーやBBQでお世話になった大さん&ゆかちゃん。ミサンガやお守りをくれた、りかちゃん、よっしー、みき、お寺のご住職。ウォーターチェンジの練習の際、エスコートボートでサポートをしてくれたガドさん。練習中に差し入れをしてくださったお嬢。茅ヶ崎~大島間を完泳したて刺激と勇気をくれた一也。モロカイ島まで応援に来てくれたあやさん。ハワイのもえさんの友人のクリスさん、エヴァンさん、エヴァンさんの奥様のかおりさん、ウェンデルさん、カラマさん。スポンサーであるノエビア社長様。ハワイのノエビア駐在所のスタッフの方々、同行取材から雑誌の掲載までお世話になったミンミンさん。メンバーのご家族と職場のみなさん。
さらに、今回の練習計画から、メンバー集め、スポンサー交渉、大会に関わるすべての申込の手配や、ユニフォームの手配まで、すべてを取りまとめてくれた隊長、もえさんにも
メンバー一同、心より感謝申し上げます。
本当に皆様、ありがとうございました。

この貴重な経験は、クラブ員はもとより、より多くの全国の女子パドラーに受け継いでいけたらと思う。また、今後もこのモロカイレースには出来うる限り、継続的に参加していくべきと感じた。
今回の事で、自分のパドルスキルの向上も確認できた。
パドルの技術だけでなく、海に対する能力と適切な判断力、あらゆる面で総合的な技術と人間性を兼ね備えているクルーと、そして何より、クルー同士の信頼関係がないと、ここは渡れないと思った。

目標があれば、そこへ向かうまでの過程が多少きつくても頑張れる。
決して、一人ではないのだから!

                         モロカイ珍道中記 作 TOMO